muta's mac scribbling

MacOSXの新着アプリテスト記録とトラブルシューティング

About this template

Enforcers Only


自宅のMIDI機材を駆使して作ったビッグバンド風の曲です。
3連の16ビートというリズムを使いこなす人が少ないように思うのですが、
私自身はこういうマシンを使いながら人間的なノリを出すにはどうしたらいいかということを
テーマに音楽づくりをしてきたようなものです。
そのひとつの結論がこの曲です。


Don't Say Good Bye


お友達の山本君の曲を私なりにアレンジした曲です。
この曲はギターで演奏するのはとっても気持ちいいものがあります。
超絶的なテクニックを駆使したプレイがあるわけではないのですが、
そういうテクニックを見せるプレイよりも、こういうロングトーンを使いまくる音楽の方が
実はギター的には難しかったりします。

香港島の灯/Far obscured lights of Kawloon Peninsula


フォービートのビッグバンド調を目指した曲です。
これは香港に行った時のイメージをまとめたものですが、あえて中国風というつくりにはしていません。
フォービートを打ち込みでやるというのはすごいエネルギーがいります。
人間的なノリにこだわらなければ意外に簡単なのかもしれませんが、
こだわらないならあえてメンドクサいフォービートをやる意味もないし。

Some Croudy Night


18歳ぐらいの時に一時期ギターのソロの曲ばかり作っていた時があって、これもその一連の作品のひとつです。
そういう曲をオジサンになってから弾くというのもまた当時の録音とは違うものがあって、早い話があまり入れ込んだような演奏もしなくなったので、純粋に曲の解釈ができるということもあるかもしれません。

若い時分はどうしても例えば「ギター上手いって思われたい」とかそういう雑念が入りますが、今もうこの歳になると上手いと思われようが下手と思われようがどうでも良くなってきています。

そういう心境の方がこういう曲をやるのには向いているかもしれません。

土曜日の午後


これも上記Some Croudy Nightと同じ時期、18歳頃に作った曲をオサーンになってから演奏してみるとこんな感じという趣向の録音です。

異人館にて


これはさらに古い、17歳くらいの時に作った曲だと思います。
だから曲には幼さが残っていると自分でも思ってしまいます。
でもそれも今では貴重なのかもしれません。

もうそういう幼さを演出できるような歳でもありませんので。


18歳シリーズのとりはこの曲です。
葦が群生しているような、ひなびた湖の印象でしょうか。

Bon Voyage Mrs. Cinnamon


これはギター以外のパートは打ち込みで、ギターはMTRを廻して6回オーバーダビングをしています。

もともとはバンドでやるような曲を指向していたのですが、自作のデモもバンドの録音も自分の気に入った形にはならなかったので、結局全てのパートを打ち込みでやったこの演奏が最終形になりました。
レスリースピーカーシステムのハモンドオルガンの音が好きだし、ブラスの音が好きです。
そういう好きな音を全て使っているような曲です。

Undercovers


太鼓の細かい刻みにこだわってしまいます。

打ち込みで音楽を作る人たちのほぼ共通の欠点はドラムやベースなどの自分が触らない楽器の打ち込みが単調になりやすいということです。
どうせ代替品だから生身の人間みたいなノリを追求してもしょうがないのかもしれません。
でもドラムもベースも、キーボードも触る私としては「ドラムってそういうフィルは普通叩かないんじゃないのかなぁ」とかそういうことが気になってしまいます。

この曲はそういう私なりの各楽器のパートについての経験則の集大成というか、そういうものをまとめた曲です。
ですからブラスも白玉でブロックコードを弾くというキーボードプレイヤーがよくやるそういうブラスではなく、一本ずつラインを考えたブラスにしています。

近すぎて


ここでは歌物を披露する気はなかったのですが、なぜかちょっと気が変わったのでこの曲をアップしてみました。
といってもこれが最初で最後だと思います。
ボーカリストとしての自分の実力にはとっくに見切りを付けていますんで。

普段日常に追われているうちに良い歳になってしまいましたが、ちょっとした時間のスキマに例えば夕立ちが上がった後の雨の匂いで夏を感じてしまったり、遠くから聞こえる子供たちの声や、木の芽の色に季節を感じたりという弾みはあります。

そういう季節を感じた心境を歌いつつ、もっとそういうものを感じようよ...というようなメッセージで作った曲だったと思います。

J.S.バッハ リュート組曲ト短調よりプレリュード


一時期、バロック音楽以外はほとんど聴かないというくらいバロックに入れ込んだことがあります。その時にもいろんな作曲家の作品を聴いたのですが、結局行き着くところはバッハでバッハを音楽の父とはよく言ったものだと思ったものです。

ただしバッハの音楽は一部の人には超絶技巧を見せびらかすテクニカルな音楽だというふうに誤解されていますし、大方の人にはバッハの音楽は「堅苦しくて退屈」というふうに誤解されているのが残念です。

バッハの師匠のブクステフーデあたりから、音楽史的にいろんな作品をひも解いていけばバッハの作品というのはとてもポップなのだということが分かってきますし、同じ型を踏襲しないでいつもバランスが崩れるか崩れないかというぎりぎりのところを追求しているバッハという人は相当なイノベーターだったということにも気がつきます。

この曲も好きな作品のひとつなのですが、このプレリュードはいわゆるバロック組曲の1楽章目のお約束をかなりぶっ壊しています。またこの曲もリズム、対位法が作り出す和声などもう少し外したら壊れてしまうというぎりぎりの冒険がぎっしり詰まっています。

打ち込みでいじってみるとそういう作曲者の思わぬ意図みたいなものが突然見えてきて面白いです。

リュート組曲ト短調は全曲録音しているのですが、全曲アップするとかなりなファイルサイズになってしまいますので、取りあえずプレリュードだけ上げることにします。

J.S.バッハ 小フーガ


これもバッハ作品のうち込みです。

こういう曲を発表すると「バッハなんか打ち込みでやるのは楽譜の通りに音符入れりゃ良いだけだから簡単だし何も考えないでできる。テクノ風にアレンジするとかの工夫がいるのでは?」なんていう批評をする人がよくいますが、こういう人は100%バッハには関心が無い人ですし、100%自分で実際にやったことが無い人だと断言できます。

実際にはバッハの譜面をそのままシーケンサーに打ち込んでもあまり音楽っぽく聞こえません。
それを音楽っぽく聞こえるようにするにはかなり細かいところをいろいろタッチアップしないとそういう風には聞こえないのです。


この曲は音大のピアノの入試課題曲に使われるくらいの、ポピュラーな曲ですが実際のカテドラルオルガンの演奏をいろいろ聴くとこの曲の演奏家はかなりそれぞれ自分なりのアレンジメントというか解釈を加えて演奏しています。
というよりもこの曲自体が譜面だけでは半完成品というか、演奏家に解釈を要求するような作りになっています。

つまりバッハは曲のアウトラインだけを規定して、それをどう表現するかは演奏家に任せるというような感じです。
これはバッハに限ったことではなく当時の作曲家は皆そうだったようで、後世の作曲家のように細かいところをいちいち指示するような譜面の書き方をしないのがこの時代だったようです。

この曲は音大の入試に使われるくらいですからアレルギーを持った人も結構いるようですが、よく聞くとかなりドラマチックな構成を持っていて、またしかもメロディアスでもありバッハの曲のなかでもひときわ魅力的な曲だと思っています。

Feel Like Dancin'


この曲も最初の着想は10代の頃で、曲として形になるには10年くらいかかりましたがそういう意味ではつきあいの長い曲です。

コードの調性があまりハッキリしていない曲が好みです。
Cメジャーで始めたからって、Cメジャーで終わる必要がないしそれどころか一拍目はCメジャーではじめたって2拍目のマスターノートはCである必要もない、調性はどんどん変化していけば良いと思っています。
この曲は少なくともそういうことでスタートしています。

中盤の変拍子のように聞こえるところは実は変拍子ではありません。
そういうところにも微妙にいろいろ細工をしてあります。

Precisely 7a.m. Bay-view Hill Park


タイトルは『午前7時きっかりに港が見える丘公園にて』というような意味です。

70年頃の映画音楽で結構ジャズロックにアプローチしていたような物が好きでした。
たとえば「コンドル」(The Three Days Of Condor)のデーブグルーシンというようなイメージです。


ジャズロックというジャズがロックのリズムにアプローチしたという音楽は、実は後の世に出てくるクロスオーバーやフュージョンとは全く似て非なるものだと思っています。
残念ながらジャズロックという音楽は70年代のうちに絶滅してしまったと思っていますが、もしあのまま絶滅しないで発展していたら面白い音楽シーンになっていたんじゃないかなと常々思っています。
これは「Enforcers Only」や「Undercovers」という前出の曲も同じなんですが、 この曲もそのもしもの曲で、ジャズロックの文法で曲を作るとこんな感じという作品です。

Rampamt Lion


メロディやソロでその時々の調性の音階をわざと外すラインを作ることをジャズの用語でアウトという。調性自体が時々刻々と変化しているわけで、それに適合する音階もどんどん変化するわけだが、それに対してさらにわざとアウトする音を選ぶわけだからこういう演奏は緊張感を要求される。
ただ外せば良いというものではなくて、バランスが壊れない範囲でどこまで外せるかというのが勝負な訳だ。

こういうラインが調性から長い時間外れ続けていることを「滞空時間が長いソロ」なんていう言い方をする。ジャンプして地面に足がついていない状態というたとえだろうか。

この曲ではその滞空時間に挑戦した。
でもこれは15年前の録音だ。
今ならもっと長い滞空時間を達成できるような気がする。

Kick Dancin'


ギターのソロについてずっと研究していて、この曲は長3度に動くメジャーコードにブルーノートスケールをくっつけるとメジャーのようなマイナーのような面白い調性感が出るということに気がついて、そういう曲を作ってみたということです。
合間合間に入るブレイクというか合いの手のようなブリッジにもいろいろ工夫をしているというところが当時感じていた面白さです。

Mon Petit Ange


奥さんが長男を妊娠した時に、まだ見ぬ子供の顔を思い浮かべて作った曲でした。
人の親になるというのは恋をするのに似ています。
心の底に淡い灯がともるという感じでしょうか。

なんて言っていますがその長男はもう生意気な小学校5年生になってしまい、家の中は毎日ロックンロール状態ですが。

余呉の月


滋賀県の琵琶湖の北、賎ヶ岳を越えたところに余呉湖というひなびた湖があります。
琵琶湖はもう湖というよりは淡水の海という感じでその周囲も普通の臨海都市と変わらないのですが、余呉の町は眠ったような静かさがあって夏のボート遊びの季節以外はリゾート地としてもひなびたところです。

その余呉の晩秋の月をイメージしたというか、鏡のように静まり返った凪の水面に映り込んだ月の様子を元にした小曲です。

The Investigations


70年代ジャズロックへのオマージュをもう一曲。

それ以外にあまりコメントが無いのだが、ジャズロックというのはロックコンボタイプのリズムセクションとビッグバンドまたは中規模のホーングループ、エレクトリックギター、パーカッショングループを擁したというのがその標準スタイルじゃなかっただろうか。
そういう意味ではやはり後のフュージョンとは似て非なるものとと私は思っているのだが、多分時代を知らない人にはその違いを説明するのは難しいと思う。

この音を聞いてもらって要するにこういう感じの音楽としか言い様が無いのだが、そういうものを私はやりたいということでした。

水銀灯並ぶ道


自分の歌声を聴きたくないからここではあまり歌ものを出してこなかった。
でも印象に残りやすいのは歌ものなのだということも重々承知している。

この曲は原型は10代の時に作っていたように記憶している。何度も変遷を重ねてこの形になった。歳を重ねるごとにギターの演奏はコントローラブルになっていくけれども、声は出なくなっていく。
これはまだ声が出ていた時代の最後の歌と、やっとコントローラブルになってきたギター演奏の最初の頃の曲だ。
つまり私にはもうこういう歌と演奏はできないということだ。

青春のレクイエムということやね。

J.S.Bach 主イエスキリストよ私はあなたの名を呼ぶ


バッハのオルガンコラール集の中の小品。
この曲は名演が数々あるが、私にとって印象深いのは旧ソ連の映画監督A.タルコフスキーの名作「惑星ソラリス」のテーマ曲として使われていたバージョンだ。
タルコフスキーは生粋のロシア人だがヨーロッパ文化に対する深い傾倒がその作品のベースにあり、特に音楽に関してはバッハの作品をたびたびその映画作品のテーマ曲に印象的に使うという特徴がある。

学生時代にこの映画を観た時に深い衝撃を受けたことはリンクの別項に書いたが、この映画のクレジットを見ていたら映画のテーマ曲のこのオルガンコラール集の代表曲はモスクワ電子音楽研究所で録音されたという記述がありさらに衝撃を受けた。
それまでは私はシンセサイザー音楽に対して強い嫌悪感があり、シンセサイザーを使って音楽を創作しているミュージシャンは、音楽家として不具であるとさえ思っていた。
ところがこの映画のテーマ曲は映画の内容に完全にマッチしており、主人公の心の深い苦悩を表現する重要なツールになっていた。

これが事実上の私とシンセサイザー音楽との出会いであり、音源から音楽を創造するという発想の転換点になった。
この曲はそういう私にとっては分水嶺というか、画期的な音楽だった。

この曲を自分でやるにあたっては映画の強烈なイメージはリセットして、私なりの解釈をかなり入れた。トリルの解釈ははっきりいって音楽学校で教えているような杓子定規なスタイルではない。
しかし当時は、今音楽学校で教えているよりももっと自由なスタイルでバロック音楽は演奏されたはずだという持論を私は持っている。
バッハ自身は現在の解釈よりももっとトリッキーな演奏をしていたはずだ。

クラシック経験者には批判を浴びるところだが、私なりに考えるバッハのスタイルということで聴いてもらえばと思う。

J.S.Bach フーガ アレグロ


バッハという作曲家の作品を解釈する時に、クラシックの世界の和声法重視の楽典理論で解釈するよりもライン重視のジャズの理論で解釈した方が面白いと感じる時がある。

これはバッハの楽譜に当たって打ち込みなんかをする時に特に強く感じる。

バッハの作品の特徴を一言で言うなら、アウトするラインと巧みな解決法ということになる。
前項の「主イエスキリストよ私はあなたの名を呼ぶ」もそうだが、バッハの作品には曲の途中で必ずと言っていいほど不安定な主声調を外れたラインや、半音で動いていくラインが出てくる。
時には和声法では説明できないような不協和音的なものも多い。

しかしそのあとには必ず巧みな解決譜が続いて、全体としては非常にバランスのとれた音楽になっている。この綱渡りを見るようなハラハラさせられるスケールアウトは、バッハの師匠筋のブクステフーデには全く見られない傾向だ。
またバッハよりも時代が後のモーツアルトにも全く見られない。

あえて似たものを探すとするとジャズの世界のモーダル奏法とか、クロマチックライン、テンションとかがそれに近い。もちろんバッハはモダンジャズほどぶっ飛んではいない。
しかし何かモダンジャズと同じ匂いを感じるのは私だけだろうか。
多分ジャズミュージシャンがバッハの曲を好んで取り上げるのは偶然ではない。

バッハの音楽にはジャズプレイヤーを惹き付けるようなアウトスケールへの冒険心があるのだと思う。
この曲も全体的には非常に端正なバランスのとれた曲なのだが、中音低音にそういう要素を感じる。面白いんじゃないだろうか。

J.S.Bach リュート組曲ト短調よりガボット2


バッハという人ははバロック音楽を代表する作家でありながら、バロック時代の作家の中でもっとも異形の作家であるということをいくつか書いてきた。
その異形ということはこのバッハの代表作のリュート組曲にもっとも凝縮されている。

元々バロック時代以前にはこの「組曲」という形式の音楽はボールルームで舞踏会の時に演奏される音楽の形式として発展した。
ダンスの音楽だから決まり事がある。明るいアップテンポの曲があって、次はスローな曲があってまたアップテンポがあってというように、緩急緩急または急緩急緩の4楽章ということに決まっていた。この組曲を何曲か連続で演奏して、ダンスに参加するクライアントはどこからでも好きなところから入ってもらうというのがそもそもの組曲の実用的な意味だった。

ところがバッハは師匠からこの宮廷のお決まりを厳格に教えられていたはずだが、この決まりを破壊してしまった。
速い話がこの組曲は4楽章ではない。7つも楽章があって、しかも5つめと6つめの楽章はそれ自体がトリオ形式になっている。
しかもプレリュードは曲の途中でテンポも変わってしまうし、変拍子に近いトリッキーなリズムを使っていてこの曲では非常に踊りにくかっただろう。

大体リュートという楽器が既に舞踏会に向いていないというか、本気で舞踏会で使う気ならカメラータ音楽として創造されるべきだったのだが、最初この曲は無伴奏チェロ組曲として記譜されて、そのできが気に入ったのでチェロよりももっと音量が小さいリュートのための組曲に書き換えたといういきさつを聴くと、バッハは最初からこの音楽を観賞用に書き上げたということが伺える。
そこにどういうストーリィがあったのかはわからないが、どちらにしてもバッハの時代に音楽は単なる宮廷のアクセサリーや教会の宗教行事用の音楽から、観賞用のそれ自体が芸術であるという音楽に昇格したことだけは間違いない。

このガボットはその変則の第5楽章で、譜面には特に指定はないが第6楽章と対になって配置されていることは明らかで、第6楽章の後もう一度リピートして演奏されるしきたりになっている。

音源としては私が自分でサンプリングしたリュートの音を使っている。
リュートという楽器は奏法はギターに似ているが、2弦3弦間の長3度短縮がない完全4度の調弦であることと、その形態音色からどちらかというと琵琶に近い楽器だ。

また主旋律を奏でる高音弦はコースといって、ユニゾンの複弦になっていて、10弦以降の低音弦は弾いて演奏するためにあるのではなく、高音弦を共鳴させて物理的にリバーブを作るためにあるというあまり他の楽器では例を見ない発音法になっている。

ギターという楽器の祖先筋でありながらギターとは全く音色が違うという面白い楽器だ。

Nightmare


くるくると音楽スタイルを変えていくような曲を作りたかったという動機の曲だった記憶が有ります。

それまでにいくつかビッグバンドをベースににしたイメージの打ち込みはやっていましたが、最初から最後までそれ一辺倒というのじゃなく、いろいろ有った方が飽きないからです。
またボーカルに関しても確か私の過去のコーラスアレンジの中で最多の7声部のコーラスアレンジだったと思います。それにしては団子になっていますが。

いずれも古い記憶に頼っていますので間違いが有るかもしれませんが。
なんせ私自身もうここいらの曲を作った当時のことはもう忘却の彼方です。

Bio-Hazard


シーケンサーを使い始めて一番変わったことは、それ以前には頭にはあったけどやってみようとは思わなかったシーケンシャルラインを使うようになったということでしょう。

しかしこれもあまり多用すると、単調になってしまうリスクは常にあるのだけれどこの曲を作った時には最初から騙しリズムのように変拍子と思わせて実は全てオンリズムな展開をやってみるということでした。
それと当時導入したピッチシフターをギターに多用して、これまたそれまでにはやらなかったようなことができないかと模索していました。

ギターはいつもは納得いくまで何重にも重ねてしまうのですが、この曲に関してはほとんど一発テークです。

秋水


我々日本人は何の違和感も無く洋楽をやっている。しかしもし海外に出たら洋楽をやる日本人と洋楽をやるアメリカ人にどんな違いがあるのだろうか?
そこでは洋楽のフィーリングを完璧に身につけている日本人など何の価値もない。なぜなら洋楽のフィーリングを完璧に身につけている日系二世、三世や、洋楽のフィーリングを完璧に身につけているトルコ人やシンガポール人なんか何も珍しくないからだ。我々日本人のアイデンティティは日本人であることだ。
それはつまり日本人独特の広大な文化の背景を持っているということが、その価値の源泉になる。

例えば音楽だ。ギターやピアノを弾ける日本人なんか珍しくも何ともないが、太竿や十三弦、琵琶などを弾ける日本人がどれくらいいるだろうか?
つまり日本文化を実地に理解している日本人がどれくらいいるだろうか?

この曲はお知り合いの十三弦の師匠のところに通って、そこでちょっと齧った邦楽のエッセンスの印象を私なりにまとめた曲ということになる。
邦楽をちょっと齧ったというけども、私にとっては未体験だった邦楽の世界というのは途方も無い世界だった。
要するに今までやってきた洋楽とは全く違う体系を持った音楽で、しかも体系は全く違いながらも同じくらいの身につけなくてはいけないテクニックの量と音楽理論の深さがあるという音楽で、この邦楽の全容を知った時のショックは結構大きかった。

これを機会に邦楽の世界に入ったら?とお誘いもいただいたが洋楽だって精一杯の努力をして何とか様になり始めた時だったのに、それと同じくらいの鍛錬を要求される邦楽をもうひとつ勉強してみようという気にはならなかった。
これは例えていいうなら、日本語と英語の両方で同時にディベートができるように訓練するようなものだ。どちらか片方を身につけるだけでも大変なのに、とても両方はできない。

そんな理由で邦楽の世界はちょっと覗いただけだが、その印象を当時の私なりにまとめたのがこの曲だ。
フルートと尺八、琵琶とギター、箏とピアノというようにタンギングやアーティキュレーションに共通点がある楽器もある。音階も洋楽の世界の論理体系とは全く違うのだが、比べてみるなら教会旋法に似ていないことも無い。
そういう学んだことをここで出してみたということだ。

ZAZi Gorilla


シーケンシャルミュージックというと、そのスタートはテクノから入ってきた人が多かったから、どうしても手法的にはミニマルのような音楽を志向している人が多かった。つまり同じリズム、同じ旋律を何回も繰り返しながら少しずつ音数を増やしていくようなトランスミュージックによくある手法といえばわかりやすいだろうか。

別にそれ自体は良くも悪くもないが、そういうものだけが音楽と思っている自称「音楽をやっている」人というのが多数派になったのには閉口した。
こういう人たちに共通でいえることは、皆勉強不足で音楽について何も勉強していないくせに自分たちと違う人間を批判する鼻っ柱の強さだけがあるということだった。

永らく音楽から遠ざかっていたのはこういう音楽人種の傲慢さがイヤになったからだ。
当時の私が言いたかったのはただ単に
「そういうミニマルとは全く違うタイプの音楽もこの世には存在するんだよ」
ということだけだった。
しかしそれが受け入れられなかったのは、私のような音楽をシーケンサーなどでやっているような奴があまりにも少数派だったからだろう。

私のような音楽というのはどんな音楽家というと、要するにこういう音楽だ。

同じ音型の繰り返しはリフという形では当然出てくるが、ミニマルの「パターン」という概念とは全く違って、完全に同じ「パターン」の繰り返しは一度も出て来ない。またタイミングは絶対にジャストではない。

要するに機械的ではない、人間的な音楽を機械でやるというのが当時は少数派だったということだ。
こんな酔狂な奴は当時は全くいなかったから、テクノ坊やには受け入れられない。かといってシーケンシャルミュージックを蔑んでいる生演奏主義者には「こんな音楽には価値がない」とまで言い切られる。
要するにどちらからも異端児としてみられていたわけだ。

今の時代はそういうものが受け入れられる時代になったのかならなかったのか、もう私には知ったこっちゃない。
もう私は音楽を事実上止めているので、そんなことはどうだっていい。
ただちょっとこの曲を取り出して、久しぶりに聴いてみるとそういう昔の恨み節を思い出しただけだ。

さらばおじきよ


フレーズの強さだけでどこまで押していけるか、これは作曲をする立場もそうだしギタリストの課題でもある。
作曲技法でいえば例えばキーボーディストは,全体のアンサンブルの組み立て,サウンドからディテールに入ってくるという考え方をする人が多いのに対して,ギタリストはひとつひとつのフレーズの強さから,それを積み重ねていって全体を組み上げるという考え方の人が多い。

だからアレンジでこの二者の考え方はよくぶつかる。印象に残るフレーズを強調するアレンジか,全体のバランスを重んじたアレンジかということだ。全体のアレンジから発想すると総花的な優等生的な音楽が出来上がるし、フレーズから組み上げていけば、荒削りでどこかに破綻があるような音楽になる。

どちらが良いかということではないと思うが、ギター出身で音楽をやっていた身からするといくらアレンジが完成されていてもやはり、一発のフレーズに強さがないと音楽は魅力を持てないと思ってしまうのだ。
この曲はパラパラギターを弾いていた時に思いついた簡単なワンフレーズから、イメージが広がってできた曲だ。
だから作曲メソードとしてはとてもギタリスト的だといえる。
ケレン味たっぷりの速弾きがあるわけでもないのだが、それでもこのメソードはやはりギタリスト的だと自分でも思う。
でもこれが音楽の魅力を作り出すコツではないかと今でも確信しているのだが。

Walkin' Alone


枯れ葉に埋まったペーブメントのお気に入りの散歩道を淡々と歩いてゆく
哀しくもなく、心弾むわけでもなく、色目のなくなった世界と
色目を失った心を写すように何の感情の起伏もなく
歩いてゆく

目的を失った手段と手段を失った目的
結局はどちらも同じことだったということを何度も何度も確認するために
この道を繰り返し歩いてきたのかもしれない
そうじゃないかもしれないが

高く澄み切った空から吹きおろしてくる冷たい風を感じながら
この道は何度も通ってきた道だということを改めて感じる
色目を失った関係をはかなむように何の喜びも怒りもなく
歩いてゆく